2025/10/15

モノの価値観の世代間ギャップ:「粋」はどこへ行った?

モノの価値観の世代間ギャップ:「粋」はどこへ行った?

最近の「推し活」の現場で、世代間の価値観の断絶を痛感する出来事がありました。それは、ライブの物販や配信への課金、そして配信中のリスナーと配信者のちょっとしたやり取りの中にも見え隠れしています。

私たちは、ファン活動における「モノの価値観」の世代間ギャップを、日本の美意識である「粋(いき)」という切り口で考えてみたいと思います。

潔い若者世代の「トキ消費の粋」

まず、若い世代のファン(主にZ世代)の消費行動に見られる「粋」です。

彼らは、ライブやイベントの「配信への課金」を好みます。これは、物理的なグッズという「モノ」が手元に残らなくても、その瞬間の**「体験」そのもの(コト)**にお金を払うことを潔しとする姿勢です。

若者世代が「粋」とされる理由:

  1. 執着をしない潔さ:

    • 物理的なグッズは、場所を取り、管理が大変で、やがては手放す手間がかかります。それを「いらない」と切り捨てるのは、まさしく**「執着しない潔さ」**であり、ミニマリズム的な「粋」の美学です。

  2. 体験をデジタルで昇華:

    • 記憶はSNSでの共有やスクショで十分。物理的な足跡を残さず、デジタルな形でコミュニティの中で価値を循環させる、軽やかで洗練された振る舞いです。

彼らにとっての「粋」とは、最高の体験を本質的に享受し、あとは潔く手放すこと。まさに「モノを残さない」ことに美を見出しています。

経験豊富な年配世代の「所有の粋」

一方、年配のファン層、特に現場のライブに足を運ぶコアな層は、むしろ「一品もの」や「限定グッズ」といった物販に強く興味を持ちます。

年配世代が「粋」だと信じる理由:

  1. 最高の体験の「証」:

    • グッズは単なるモノではなく、「あの最高の瞬間に自分は立ち会った」という確固たる物理的な証拠であり、「参加証明書」です。

  2. 支援の重みと独占欲:

    • 物理的なグッズ購入は、推しへの直接的な支援であり、それを所有することで**「真のファンである」というアイデンティティと独占欲**を満たします。手書きの一点もののような「時間と手間」がかかったモノにこそ、愛の深さや支援の重みを感じます。

彼らにとっての「粋」とは、物質的な形で最高の支援と愛を証明すること。物理的な「モノ」にこそ、愛情と価値を物質化する重みがあるのです。

現代の「粋」の断絶

この価値観の対立は、ある配信サービスでのやり取りに象徴されています。

要素配信者(デジタルな粋)リスナー(物理的な粋)
提供/要求個別へのデジタルメッセージ手書きの一点もの
価値基準効率性、一対一の交流(コト)希少性、物理的な所有(モノ)
感覚迅速な愛の表現こそ粋時間と手間をかけた愛こそ粋

リスナーが「手書きの一点もの」にこだわるのは、それを「粋」の証明だと信じているからです。しかし、若い配信者や若者ファンから見れば、それは「非効率な執着」であり、逆に「粋ではない」と映るため、**「自分たちが粋だと思ってる年配世代は失笑だ」**という感覚が生まれるわけです。

まとめ:それぞれの「粋」を尊重する時代へ

世代間で「粋」の定義が変化し、「モノへの執着」の有無で価値観が衝突するのは、避けられない現象です。

しかし、どちらも根底にあるのは**「推しへの強い愛情」であり、「最も潔く、美しく、価値ある形で愛を表現したい」**という願いです。

現代の多様なファン活動においては、物理的な「モノの粋」も、非物質的な「トキの粋」も、どちらも愛の形として尊重し、楽しむことが、真の「粋」な態度と言えるのかもしれません。

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